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原文轉載自:http://blog.aoki.moo.jp/?eid=1318006
六博(りくはく)は、春秋末期から三国時代へかけてたいへん流行した2人用の盤上遊戯で、興じる人々の姿が画像石や俑などに残っています。
ただ、残念ながらルールが伝わっていません。
双六のようなレースゲームであるという説と、駒を取り合う戦争ゲームであるという説があります。双六というと子どもがやる暢気な遊び思いがちですが、それは江戸時代に発展した「絵双六」のイメージで、ここでいう双六とはバックギャモンのことです。バックギャモンとなると、ギャンブルをイメージしやすいですね。(*^_^*)
道具は、絵のように30~40cm四方の盤、さいころ、12個の駒、点数棒のセットです。
ルールについて考証していたのは尚秉和『中国社会風俗史』と渡部武『画像が語る中国の古代』で、どうやら後者のほうが正しそうなので、それにのっとって描きました。
さいころに「梟(きょう)」という目があり、これが最強の目で、駒を立てて「梟」のポイントに置いたんであろう、という考証でした。
登場人物の許博昌(きょ・はくしょう)は、前漢の六博名人の名前です(『画像が語る中国の古代』246ページより)。すっかり兵隊くずれのヤンキー兄貴になってますが。
そのライバル蔡穎(さい・えい)の名は、三国呉の廷臣で、孫和と韋曜から「バクチばっかやってんじゃねーよ」と説教された人物から取りました。(『三国志』呉・韋曜伝)