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日本の現存する弓矢は非常に少なくまた記された資料も少ない。弓は原始より人類が狩猟及び戦いに使用した最も古い武器の一つ であり、相撲の弓取りに象徴されるように、ある時は成功を意味し、また古来魔除けなどの信仰も意味していた。弓取りの家と言うように地位を意味したりもした。 戦国時代、鉄砲出現後も弓は戦いの重要な武器、鉄砲の弾幕を補うものとして使用された。 1500-2000石の武家は鉄砲10人、弓5人、槍5人を装備していたと言われている。弓は鉄砲の半分の数である。しかし江戸時代は他の武芸と同じく武道としての弓道は残り、戦闘での弓は形骸化され、実際の戦闘でどのように扱われ活躍したか、その姿を窺い知るのは難しい。 雑兵物語には、弓足軽への教えとして「必ず命令された距離より遠くを射てはならない。近くに射るのは構わない。練習で的を射るより、引き絞ってから2倍の時間を持ちこたえて射りなさい。つがえても引き絞っては緩め、緩めては引き絞れ。」とある。 実用の有効射程距離としては、長弓50m、半弓30m、李満弓10mというところであったろうと推定する。練習は15間、30mくらいで行ったものか。また33間廊下を通す(上にも下にも触らず)記録を競いあった。現在の練習用の矢に比較すると実用に使われた矢は其の鏃が鋭く、迫力があり、全体に太く、重い。また実用に使われていた弓は現在の練習用の弓よりはるかに厚く、重くまた張力の強いものであった。2人張り、3人張り、4人張りと言うように、複数の人力を用して弦を張るようなものであった。また弓を射る者は相当にそれを修行し想像を絶する強い力を保持していたに違いない。 |
重藤の弓 | |||
弓には明きらかにこのような高級なもの以外に「数弓」と呼ばれる足軽用のものが存在した。数弓に対しこれらは「持ち弓」と呼 ばれ、主人に成り代わり「お持ち弓」と言う足軽が運搬したが「御持ち弓1張り征矢1腰」に「今1張りと1腰は張り換えの御弓、 御征矢」と書いてあるので、高級な弓矢は2張り、2腰で1組であった。 | |||
弓3張 | |||
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半弓 | |||
小型の弓で材料には、一般的な弓のように木材を合わせてあるものと骨で作ってあるものが見られる。長弓に比較する と寸法よりも構造に差がある。 例:全長153cm、幅(最大)30mm、厚さ13mm。素材は木を合わせてあるものと思われるが、表面に木の皮を張り、要所を藤 で巻いてある。握りは下方より70cm、上方より83cmに皮革、11・5cmの長さで巻いてあり、これは一般の長い弓より真ん 中に近い位置である。弦は反りに合わせて張るようになっており、この点も一般の弓と逆である。 この例とまったく同じものを見たことがあるので、対になっていた可能性もある。 | |||
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李満弓 | |||
紀州の林 李満と言う兵法家の作ということからこのように呼ばれるが携帯用・非常用の弓である。小型で既に弦が掛けた 状態で保持されており、緊急の際に取り出しそのまま矢をつがえて発射出来る。籠弓ともいう。弓と矢は一つの入れ物に一体となり設置されてい る。 材料は弓本体も入れ物も鯨の髭(実際は歯)水牛の角、などを膠(これも鯨の髭から作る)と卵白で接着したものと言われてい る。矢は11本が収納されそのうち1本は矢羽4枚あり大きな鏃が付いている。完全に台が設置型のものも存在する。床の間などに置 いたのであろう。 例:全長76cm、幅25mm、厚さ9mm。握りは下方から32cmで中心に近いが弓は上部が大きく膨らみ、下部はすぼまっている。入れ物は箱型で真ん中に弓が入り、その左右に矢が各5本、前に矢羽4枚で大き な平鏃の矢が1本収納される。後部には携帯の為に帯に差す柄が出ている。箱は高さ22cm、横16cm、幅6・5cmの寸法で、素材は 鯨材、下部には皮革が巻いてあり、金色の漆塗り。これを床の間などに置いても装飾になると言う感じである。矢尻は3種が混ざっており、一つは平根(平)で真ん中に猪の目の透かし入り(前記の4枚羽)1本、4角尖り6本、4角丸み4本。李満弓より小型のものもある。 | |||
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